宗教もしもし相談室
宗教に関する各種の疑問やトラブルに対する電話相談室です。

新宗連理事長 年頭所感

「和」のもとに 内なる平和を
宗教の意味合い確認し協力を

 
2005(平成17)年1月1日
新日本宗教団体連合会
理事長 庭野 日鑛

 新年明けましておめでとうございます。謹んで年頭のご祝詞を申し上げます。
 昨年6月に新宗連第五代理事長の大役を拝命して以後、私はできるかぎり時間を見つけ出して加盟教団を訪問させていただきました。私自身、新宗連の活動に参加するようになってまだ日も浅く、経験も少ないことから、新任のあいさつを申し上げるとともに、各教団の諸先生方のご協力と、種々のご教示を賜りたいと願ってのことでした。
 
 人類はひとつの「家族」

 私は宗教者の一人として、世界人類が皆ひとつの「家族」であることを常に念頭におくことを大切にしています。加盟教団をお訪ねし、教団が創立された目的や教義などについて、あるいは平和活動に取り組む情熱をうかがうなかで、平和を願って手を携えていくことの大切さを感じるとともに、新宗連の皆さまとは、とくにご縁の深い家族であるとの思いを改めて強くいたしました。今後もさらに訪問の機会を数多く持ちたいと願っております。
 新宗連は、新宗教教団の結束をもとに、世界平和の成就と人類福祉の増進に寄与することを願って昭和26年10月に結成され、以来、半世紀を超える歴史を積み重ねてまいりました。
 この間、全国に11の総支部が発足し、さらに、およそ60の協議会が結成されました。現在、総支部を地方組織の拠点としながら、事業の主体を協議会活動に移行しつつ、地域の宗教教団や地方公共団体の関連機関、ボランティア団体などと交流を深めながら、積極的な協力活動を進めております。
 新宗連活動の基本理念は、宗教協力の推進と信教の自由の堅持を柱に、平和と自由の世界を築くことにあり、核兵器廃絶・開発・人権・環境など、人類が抱える諸問題について、具体的な活動を展開しています。
 結成50周年を向かえた平成13年(2001)10月の記念集会では、?信教の自由を守ろう?宗教協力を進めよう?世界の平和に貢献しようというスローガンを制定しました。さらに、一般市民と宗教教団との対話の場であり情報提供の場でもある「宗教もしもし相談室」の開設、宗教ネットワークの組織づくりなど、地域における宗教協力活動の拡大や地球環境保全運動の推進という、新宗連の歴史や時代状況に即した「新宗連将来計画」を策定し、活動を続けております。
 昨年はとくに、憲法改正の動きに合わせて「憲法研究会」を設置したほか、環境問題への取り組みの一つとして「電力ダイエット運動」を展開するなど、具体的な実践活動もくり広げてまいりました。
 また、「教育基本法改正」の問題や「臓器移植法案」「公益法人法」「個人情報保護法案」など、政治、社会をとりまく諸問題についての対応を協議することも、今後の新宗連活動の重要課題といえます。
 政治的な問題に限らず、さまざまな社会的課題に常に注意をはらい、矛盾点を指摘したり世論を喚起することは、議論が十分になされないまま世の中が誤った方向へと進むことを防止する意味で大切なことです。
 しかし、宗教本来の意味やはたらきから考えると、他と対立的な立場をとるのではなく、問題や課題に取り組むことをとおして、世論が正しい方向へ一つにまとまるような意見を提示することが、あるいは提示できることが、大事であるといえます。
 聖徳太子の憲法十七条に「和を以って貴しとなす」とありますが、まさに世の中の「和」ということが、宗教本来の持つ意義であると申せましょう。それは、西洋で宗教を意味する「レリジョン」という言葉が「再び結ぶ」、つまり、神と人を、あるいは人と人とを結ぶ意があり、いわば「和」の働きを表わすことにもつながるといえます。

 対立を回避するには

 しかし、現実世界に生きるなかで、私たちは、善悪や優劣、美醜、正邪といった相対的な価値観にとらわれる傾向が昔から根強く残っています。その結果、ますます対立を生み出すことが多いのです。
 そうしたことを回避する意味でも、私たち宗教者は、外部にはたらきかけることによって平和を築くというより、まず私たち一人ひとりが自らの内面に平和を打ち立てることが本来の使命であるといえましょう。
 イラク戦争をはじめ、現在も世界各地でテロや紛争は相次いで起きています。それは世界を不安に陥れる、悲しむべき事実であります。
 けれども、真の「和」は、そうした悲惨かつ落胆的な問題がありながらも、宇宙全体という視点から見れば、例えば、太陽系の惑星がそれぞれの軌道を運行しつつ、衝突することなく整然として調和しているように、すべて大きな調和の世界にあるという観点に立つところにあるといえます。自己の内面に平和を打ち立てることは、この宇宙が大きく調和していることに気づくことから始まります。

 争う「常態」の認識を

有史以来、この地上に争いが絶えたことはなかったといっても過言ではありません。表現を換えて言えば、世の中は争いがあることが「常態」であるともいえるほどです。そのことをしっかりと認識することによって、争いを続けることがいかに愚かであるかに気付き、相対的な立場を超え、絶対的な世界へと「超越」していく―そのことをみんなの願いとして、生活の根本・中心として生きていくことで、平和の方向へ前進することができる。それが、宗教者のめざす内的な平安といえます。
 内面を見つめ内省を経た平和からは、明るい笑顔や心からのあいさつが生まれ、それがひいては世の中の潤滑油のはたらき、いわば縁の下の力持ち的な役割を果たすことにもつながります。
 混迷する現代にあって、新宗連に加盟するそれぞれの教団が、宗教本来の意味合いを確認し、お互いの協力活動の輪がより広まることを願いつつ、今年もともどもに精進してまいりたいと念ずるものであります。

2005/1/1

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