宗教もしもし相談室
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新宗連理事長 年頭所感

時代、社会の要請に応える
いのち尊ぶ宗教心の醸成を

 
2008(平成20)年1月1日
新日本宗教団体連合会
理事長 庭野 日鑛

 あけましておめでとうございます。日ごろ、新宗連加盟教団の諸先生をはじめ、会員・信徒の皆さまから頂戴しておりますご支援、ご協力に、改めてあつく御礼申し上げます。

 55周年シンポの成果

 昨年は、新宗連にとって、自らの役割を再確認する年であったと申せます。「よみがえる宗教―新しい役割を探して」をテーマとして、2月と10月に結成55周年記念シンポジウムが開催されたほか、議論を一層深める二度のワークショップも行われました。ご参加くださった方々は、人心の救済、社会の平安に向け、新宗連加盟教団がいかに貢献できるかという共通の課題をもって、真剣に話し合いを重ねられました。
 討議の中では、「人々を教団に取り込もうとするのではなく、宗教者自身が地域に溶け込み、人々の苦しみを分かち合うことが大切ではないか」「まったく新しい役割を見出す以前に、見失っていたものや本来あるべきものを再確認し、再スタートする必要がある」「各教団の創始者の精神に立ち返ることが『よみがえる』ことのキーワードとなる」―など、貴重なご提言をさまざまに頂きました。そのどれもが、今後の新宗連にとって、欠くことのできない視座でございました。
 シンポジウムから導き出された成果を踏まえ、「変わってはならないもの」は何か、「変えるべきもの」は何かを見究め、社会の期待に応えられる歩みを着実に進めてまいりたいと思います。
 
 自殺防止に取り組む

 また昨年は、自殺防止への取り組みが、より具体化した年でもありました。一昨年、新宗連は、NPO法人「自殺対策支援センター ライフリング」の呼びかけに応じて、自殺対策の法制化を求める署名運動に協力いたしました。それをさらに進める形で、企画委員会の中に「自殺防止プロジェクト」が設置され、研修会の実施、自殺防止センターへの協力、防止活動に携わる人材育成などの方向性が示されました。
 ご存知のように、日本では、自殺者が年間3万人を超えております。このことについて、ある方は、イラク戦争の総犠牲者に匹敵する人々が一年の間に自殺していると指摘し、「もはや日本は平和国家であるといえる状況ではない」と厳しい見方をしておられます。
 自殺の背景には、さまざまな要因が考えられます。自殺防止への取り組みも、多様であります。しかし根幹は、家庭や職場、地域で、一人ひとりが真に相手の心の奥を見つめることができているか、心を通わせているか、が問われているといえます。
昨年11月、新宗連青年会の学習会で講師を務めてくださった東京自殺防止センター創立者の西原由紀子氏は、こう述べておられます。
 「死にたくて死ぬ人はいません。『死にたい』と訴える人は、生きる道を一生懸命に求めているのです」
 「『自殺したい』と相談してくる人は、自分の思いを聴いてもらえなかったら辛くて死んでしまいます。医者には聴いてもらえず、家族にも言えないのです。家族を愛しているからこそ言えない場合もあります。『死にたい』という言葉の奥には、『人を信じたい』『助けてほしい』という思いが隠されています。表面だけを受けとめるのではなく、その言葉の奥にあるものをみるようにしてください」
 心に響く、大切なご示唆であります。幸い、新宗連加盟教団には、それぞれ、信仰を持った多くの会員、信徒の皆さまがおられます。しかも、自分のことは後回しにしても、まず人のことを思い、温かな触れ合いを重ねている方々ばかりであります。そうした皆さまの力を結集するならば、自殺防止への確かな成果をあげることができるに違いありません。

 宗教の大切な役割は

 人間の生と死など、いのちに関わる問題は、宗教者にとって最優先で取り組むべき課題であります。仏教の法句経に「人の生(しょう)を受くるは難く、やがて死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有難し」との一節があるように、いのちの不思議、有り難さ、尊さを伝えるのが宗教の最も大切な役割であります。加盟教団の皆さまと力を合わせ、すべてのいのちを尊ぶ宗教心の醸成に努めてまいりたいものです。
日本は、この60数年にわたり、戦争のない平和な歩みを続けてきました。経済的にもめざましい発展を遂げております。一方、個人、また社会の中で数々の歪みが生じているのも事実であります。
 過日、私は、ある新聞記事を読ませて頂き、大変感銘を受けました。元ハワイ州知事のジョージ・アリヨシ氏が、昨年、記者に送った手紙の内容を紹介したものでした。
アリヨシ氏は、戦後間もなく初めて東京を訪れます。その際、両親を失い、妹と二人で生きていた靴磨きの少年に出会いました。空腹な様子を見たアリヨシ氏は、兵舎に戻り、パン、バターとジャムをナプキンに包み、少年の所にとって返し、包みを渡します。
 少年は、お礼を言うと、すぐには食べず、パンを箱に入れたそうです。アリヨシ氏が、お腹はすいていないのかと尋ねると、少年は言いました。「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」。アリヨシ氏は、一片のパンを幼い妹と分かち合おうという心に深く感動したといいます。
 手紙の最後にアリヨシ氏は、こう綴っておられます。「幾星霜が過ぎ、日本は変わった。今日の日本人は生きるための戦いをしなくてよい。ほとんどの人びとは、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。すべてのことは容易に手に入る。そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ」と。
 どのように時代が移り変わろうとも、人間には「変わってはならないもの」がある。そのことを訴えかける記事でございました。
 こうした人間として一番大事なことを見つめ合い、宗教に根ざした精神国家を築いていこうと努力しているのが、新宗連でありましょう。「よみがえる宗教―新しい役割を探して」というテーマを、今後も常に心に置き、手を携えて、時代の要請、社会の要請に応えてまいりたいと思います。
 皆さまから一層のご協力を頂けますようお願いいたします。

2008/1/1

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