復興フレンドシップツアー 名取市と女川町で研修―青関連・青東北連
青関連と青東北連が3月9から10日まで催行した「復興フレンドシップツアー〜行こうよ東北2019」には、5教団から45人、新日本宗教青年会連盟(新宗連青年会)の宮口弘道委員長も参加した。バスが東京電力福島第一原発事故の旧避難指示区域や帰還困難区域を通過する際には、車窓から放射線量を計測するモニタリングポスト、汚染土の仮置き場などを眺めながら、事務局員から、復興状況についての説明を聞いた。
午後1時過ぎ、名取市閖上(ゆりあげ)地区に到着し、青東北連の参加者が合流。「名取市東日本大震災慰霊碑」にて、山田司郎名取市長から、閖上地区の復興状況について説明を受けた(写真上)。5月26日には「閖上地区まちびらき」が予定されており、山田市長は「ハード面の復興は一定程度進んだが、心、コミュニティーの再生など課題は多い」と語った。続いて山田市長と宮口委員長が代表献花を行い、参加者全員で黙祷を捧げた。
この後、参加者は閖上地区在住の青年の案内で、慰霊碑に隣接する丘「日和山(ひよりやま)」から同地区の被害・復興状況を視察。慰霊碑に戻り教団別礼拝を行った。また、「ゆりあげ港朝市」で同地区の津波被災の映像を視聴した。
この後、女川町へ向け出発。バス車内では、宮城県、福島県などから参加した青東北連の青年たちが、各地の被災・復興状況について話した。
翌10日午前には、女川町観光協会の阿部真紀子氏のガイドで、女川町魚市場を車窓から視察。続いて、被災当時小学6年生だった同町の子どもたちが中心となり建立した「女川いのちの石碑」の一つを訪れ、説明を聞いた。
女川駅前の商店街「シーパルピア女川」内にある「まちなか交流館」では、阿部氏から映像を交えての講話を聴いた。
商業施設は綺麗で洗練されたため、観光客がたくさん訪れているが、一方で物価が高くなり、住民にとっては生活しづらくなった面もある。昔のややさびれた町を懐かしむ声が少なくないことも赤裸々に語られた。
一行は自由散策を行い、土産品などを購入、バス車中で振り返りを行い、帰途についた。
東北復興支援イベント 青近連と解脱会が参加―LOVEフェス
同フェスは、201(平成24)年から毎年3月に開催されている東日本大震災の被災地復興を応援する野外イベントで、16(同28)年までは神戸市で、17(同29)年からは大阪で「大阪から東北へ笑顔の架け橋を」をコンセプトに開催してきた。
今回、青近連と解脱会大阪教区青年部は、東北etc物産展のブース出店として参加。復興支援のために、宮城県南三陸町から仕入れた蒲鉾や11(同23)年に新宗連青年会がボランティアを派遣した同県気仙沼市唐桑町のかつお節やなまり節、わかめなどを販売した(写真)。
震災発生時刻の午後2時46分には、犠牲者の冥福と早期復興を祈り、黙祷を行った。当日は曇天で来場者が少なくなることが懸念されたが、売れ行きはまずまずで、閉会間際には完売した。
また、今年度、青近連は同フェスに協賛し、防災学習に重点的に取り組んできており、当日は新聞紙のスリッパなど身近なもので作ることのできる防災グッズの作成や、停電時でもハンドルを回し発電すれば自販機内の飲み物が搬出できる「災害ベンダー」なども体験した。
第8回福幸(復興)の祈り―京都府協青年部
京都府協議会の佐藤益弘議長のあいさつの後、震災犠牲者慰霊と早期復興の祈りを込めて作成した千羽鶴を参加教団の代表6人が奉納。天恩教とパーフェクト リバティー教団(PL)、立正佼成会、松緑神道大和山の順に「教団別の祈り」を捧げ、全員で黙祷を行った。
この後、認定NPO法人テラ・ルネッサンス(小川真吾代表)の創設者である鬼丸昌也氏が登壇し、講演を行った(写真)。
テラ・ルネッサンスは、鬼丸氏が立命館大学在学中の2001(平成13)年10月に設立した団体で、地雷除去支援、紛争・災害被災地域での復興支援事業、地雷被害者や除隊兵士といった紛争被害者への支援事業などに取り組んでいる。
鬼丸氏は、岩手県大槌町の震災復興支援に関わった経緯と行政・コミュニティーの課題を指摘。その上で、各教団の宗教コミュニティーで平時からどう生かすかを考えることの重要性を強調し、「災害時でも身近な人の安否が確認できることで気持ちが安定し、他者にも手を差し伸べることができる」と述べた。
京都府協議会の鉢呂金太郎青年担当委員が総括。祈り、感じ、行動することに意味があり、「震災を風化させないために、活動を継続することが大事です」と語った。
第9回沖縄慰霊平和使節団―新宗連青年会
選択プログラムを導入 沖縄戦と戦後史(基地問題)学ぶ
21日午後、浦添市の立正佼成会沖縄教会で結団式。宮口団長はあいさつで使節団の趣旨、今回のねらいを説明した。今回の使節団の特長は、はじめて使節団に参加する青年向けに沖縄戦を学ぶプログラム、2回目以降の参加青年向けに戦後史と基地問題を学ぶプログラムを用意し、選択性にしたこと。
新宗連沖縄県協議会の長沼克宗事務局長(立正佼成会沖縄教会長)が受け入れあいさつ。この後、「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」が制作したD?D『沖縄戦の証言』を鑑賞した。
22日午前は那覇市の沖縄県立博物館で、沖縄の歴史、民俗など概要を学んだ。この後、選択プログラムに分かれた。
沖縄戦を学ぶコースは、沖縄戦で看護補助要員として動員された「ひめゆり学徒隊」の足跡を辿った。はじめに那覇市の栄町市場へ移動。ここは戦前、ひめゆり学園(沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校)があった場所で、現在も同窓会事務所が市場の中にある。
この後、ひめゆり学徒隊が最初に配属された南風原町へ移動。南風原文化センターで南風原陸軍病院の概要を学んだ後、現在唯一入壕できる20号壕をガイドの案内で視察した(写真上)。
一行は、南城市の糸数アブチラガマへ移動。こちらは日本軍の南部撤退とともに軍民雑居状態となった自然壕で、ひめゆり学徒隊も配置された。立正佼成会沖縄教会平和教育プログラム担当者らのサポートと案内で、壕を視察。途中懐中電灯を消し真っ暗闇の中、亡くなった方々を偲んで唱歌「ふるさと」を歌った。また壕の出口近くにある慰霊碑で献花した。この後、糸満市へ移動。ひめゆり学徒隊が解散した伊原第三外科壕跡に建つ「ひめゆりの塔」で献花し、「ひめゆり平和祈念資料館」を見学した。
続いて、宜野湾市へ移動し、普天間リベラルツーリズムのガイドにより、沖縄戦の戦跡を訪問し、高台から普天間飛行場などを見学した(写真中)。
また、米軍のオスプレイが墜落した沖縄国際大学、米軍機の落下物が発見された緑ケ丘保育園、緊急時のシェルターが設置された普天間第二小学校を巡った。最後に普天間リベラルツーリズムの事務所で、懇談を行った。
各コースの団員はホテルに再集合し、力久道臣善隣教教主が合流。夕食懇談会では、力久教主同席のもと、一日の振り返りと分かち合いを行った。
23日午前は糸満市の「白梅之塔」「魂魄之塔」「沖縄師範健児之塔」「南冥の塔」を参拝。各塔で献香、献花、黙祷を行った。
午後、一行は摩文仁の丘へ移動。「沖縄平和祈念堂」を参拝、見学した。「国立沖縄戦没者墓苑」では慰霊祭を挙行し(写真下)、教団別礼拝を行った。この後、「平和の礎(いしじ)」を見学。
最終日の24日は午前、那覇市の「小桜の塔」を参拝した後、対馬丸記念館で常務理事の外間邦子さんから講話を聴いた。全行程を終え、解団式。力久教主があいさつで「宗教は体験と実感の世界。五感で感じ取ったものを伝えていくことが大切」と青年らに説いた。
2019/3/29
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