宗教もしもし相談室
宗教に関する各種の疑問やトラブルに対する電話相談室です。

Headline No.144 第28次アジア青年平和使節団を派遣−新宗連青年会

第1次から50年−タイ各地で学び、慰霊供養  
 新日本宗教青年会連盟(新宗連青年会、宮本泰克委員長)は3月15〜20日にかけて、「第28次アジア青年平和使節団」をタイ王国に派遣した。
 今回の使節団は、第1次(1974年)から50年の節目を迎えることもあり、使節団の原点となるタイ王国のカンチャナブリ県を訪問し、かつて日本軍の泰緬鉄道建設にあたり、命を落としたアジア諸国や連合軍の捕虜、関係者への慰霊と懺悔と共に、先師先達の行動を学び、継承し今後の使節団の手がかりを見つけることを目的に派遣された。
 3月15日に羽田空港に集合し、深夜便にてスワンナプーム国際空港(バンコク)に16日早朝に到着した一行は、バスで立正佼成会のバンコク教会を訪問し、参拝と結団式を行った。バンコク教会の現地青年の会員とともに交流を兼ねた昼食の後、タイの現状を学ぶためバンコクのスラムのひとつ、クロントイ・スラムで支援活動を行うシーカー・アジア財団を訪問し研修を行った。
 17日午前、カンチャナブリ県に向かい、はじめにJEATH戦争博物館(JEATHはJapan・England・America・Australia・Thailand・Holland=オランダ、各国の頭文字をとったもの)を見学。当時の日本軍の捕虜収容所を再現し、竹で造られた施設の中には、日本兵の資料や医療の現場、捕虜の兵士が収容所の様子を描いたスケッチ等が展示されていた。施設横に建つ、第1次使節団で案内役を務めた元日本陸軍憲兵隊通訳の永瀬隆氏(2011年逝去)の銅像も見学。永瀬氏は戦後、贖罪と和解のため活動し、タイでも知られた人物。
泰緬鉄道博物館で過酷な鉄道建設の状況を学ぶ
 その後、綺麗に整備された連合軍墓地を訪れ、慰霊碑に献花し祈りを捧げた。続いて連合軍墓地の横に建つ泰緬鉄道博物館を見学、鉄道建設中の連合軍捕虜の過酷な労働状況を学んだ(写真右)。
 施設見学後、バスで移動移動し、泰緬鉄道建設に携わり犠牲となった捕虜や労務者の霊を慰めるために日本軍によって建立されたカンチャナブリ慰霊塔を訪れ、献香・献花に続いて祈りを捧げた。また、近隣にある、永瀬氏が建立した、クワイ河平和寺院も訪れ、祈りを捧げた後、目前にあるメクロン鉄橋を見学した。

 「ナムトクの丘」で慰霊・平和祈念式典
 18日は泰緬鉄道建設時に、最も困難を極め、過酷な作業で多大な犠牲者を出したヘルファイア・パスを訪れた。昼夜を問わず工事が行われ、明かりを照らす様子が地獄の炎の様に見えた事で名前が付けられたという。慰霊碑に到着後、献花し祈りを捧げ、入口に建つオーストラリア政府によって建てられた資料館を見学した。
教団別礼拝(妙智會教団)
教団別礼拝(立正佼成会)
 
 昼食を挟み、ナムトクまで移動。ナムトクは旧泰緬鉄道のタイ側現存最終地点。「ナムトクの丘」に到着し、新宗連青年会が建立したタイ式供養塔サンプラプーンと周囲を清掃し、「戦争犠牲者慰霊並びに平和祈念式典」を執り行った。庭野嘉照青年会委員のあいさつの後、献香、献花、教団別礼拝を行った(写真上)。
 この後、現存最終駅のナムトク駅まで移動し、タムクラセー駅まで実際に旧泰緬鉄道に乗車。下車後、駅の直ぐ側にあり、ヘルファイア・パスと同じく、泰緬鉄道建設工事の難関を極めた場所のひとつである、ワンポーの木橋(アルヒル桟道橋)を訪れた。見学後、一行はカンチャナブリに戻り、振り返りを行った。
 最終日の19日は午前中にバンコクに戻り、午後から、王宮周辺をガイドの案内で巡りタイの歴史や文化に触れた。その後、夕食会場に移動し解団式を行った。
 解団式では、団員それぞれが今使節団での感想を発表。「日本の国内の被害については、学んでいたが、今回は加害者としての立場で学び、慰霊供養をさせていただけたことで新たな気付きを得ることができました。また、他教団の青年と一緒に学べたことも大きかった」、「戦争、紛争についてあらためて考える機会となった。実際に五感で感じたことを日本に帰って、少しでも多くの人に伝えていきたい」などの発表があった。
 この後、宮本泰克青年会委員長が総括のあいさつに立ち、「団長としてはじめて、使節団に参加しましたが、現在と過去のタイを学び、日本がタイに行ったことを学ぶことができました。また、宗教の違う者同士が一緒に学ぶことができたこのご縁を大事にして、日本に帰っても日々の宗教活動や生活に活かせるきっかけになればと思います」と振り返った。

2024/5/10

ページの先頭へ