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Headline No.170 平和への巡礼U(前段プログラム・鹿児島)を実施

 特攻の記憶をたどり慰霊と平和を誓う
 新日本宗教団体連合会(新宗連、石倉寿一理事長)は、4月21日から23日の間、「すべてのいのちを尊ぶ世界」実現推進事業の一環として「平和への巡礼U」(前段プログラム・鹿児島)を実施した。今回の巡礼は今年2月に行われた「平和への巡礼T(タイ王国)」に続くもので、「平和への巡礼U(沖縄)」(5月21〜23日)に先立ち、かつて沖縄戦にも多数投入された特攻隊の主要な出撃基地があった鹿児島の地を訪れた。
 巡礼団一行は22日朝、南さつま市の万世(ばんせい)や南九州市の知覧に向かうバスの車中で結団式を行った。石倉寿一理事長はあいさつの中で「特攻に行かれた方々の思いに心を寄せ、慰霊供養を通じて、すべてのいのちを尊ぶ世界の実現を目指していきたい」と決意を述べた。
 鹿児島は太平洋戦争末期、日本本土から沖縄戦に向けた特攻作戦の最前線だった。知覧は陸軍の出撃地であり、439人が戦死。特攻の象徴的な場所として広く知られている。一方、海軍の出撃地である鹿屋は908人が戦死している。その他、万世(120人)、串良(363人)、国分(247人)、出水(約200人)、指宿(82人)などの出撃地にも慰霊碑が建立されている。
 万世基地は戦後長らく忘れ去られていたが、元特攻隊の苗村七郎氏が遺族を訪ね歩き、遺品を集めたことで記憶が継承された。苗村氏は「特攻戦死者に遺骨はない。戦死地点を確定することも難しい。最後に飛び立った飛行場が慰霊の場となるべき」と語っている。特攻隊に志願した若者たちは十分な訓練も装備もないまま、「必死」の命令により出撃し、多くが帰らぬ命となった。
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 最初の訪問地は、南さつま市の万世特攻平和祈念館。万世飛行場は、太平洋戦争末期、わずか4カ月の間に約2百人の特攻隊員が出撃した地として知られる。参加者は万世特攻慰霊碑の前に参列し、代表者が花を手向けた後、各教団の礼拝により慰霊と供養の誠を捧げた(写真)。
 続いて、職員の案内により館内を見学。特攻隊員たちの遺書や血書などに触れ、静かに戦争の悲劇を胸に刻んだ。
 南九州市の知覧特攻平和会館では、特攻隊員の遺影をはじめ、遺書や辞世、四式戦闘機「疾風」などを見学した後、知覧特攻平和観音堂にて、「戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典」を執り行った。
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 参列者は全員、白菊の花を手向け、戦争の犠牲となった御霊に深い哀悼の意を表した。この後、石倉理事長が「世界平和祈願文」を奏上(写真)。特攻隊員として飛び立ち、尊い命を捧げた若き御霊に慰霊の誠を捧げるとともに、自然災害や国際紛争、民族間の分断や対立の激化など、現代社会が直面する課題に言及し、「私達は神仏から託された使命を自覚し、慈悲の精神を世界に拡げてゆかなければなりません」と述べた。さらに、「二度と戦争を起こしてはならない」「国際問題を武力で解決してはならない」という「絶対非戦」精神を掲げ、世界の恒久平和実現を祈願した。
 次いで、円応教と松緑神道大和山、崇教眞光、善隣教、大慧會教団、大法輪台意光妙教会、玉光神社の7教団の代表者が教団別礼拝を行い、慰霊と供養の誠を捧げた。
 式典の最後に黙祷を捧げ、参列者一同で平和への誓いを新たにした。
 一行は南九州市の「ホタル館 富屋食堂」も訪問。かつて特攻隊員の世話を担った鳥濱トメ氏が営んだ食堂を再現した同館には、検閲を経ていない遺書や写真が多数展示されており、参加者は死を前にした若者たちの内面に静かに耳を傾けた。
 夕食懇談会では、深田充啓名誉会長(円応教教主)があいさつに立ち、「戦争の記憶が薄れゆく今、宗教者として慰霊の誠を捧げ続け、青少年に伝える責務を感じている。多くの若者の犠牲の上に、現在の幸せがある。新宗連の活動を通じ、平和への意識が広がることを願う」と語った。
 最終日の23日、一行は鹿児島市の鴨池港から垂水市の垂水港へ渡り、特攻兵器「桜花」の出撃拠点跡地に建つ「桜花の碑」で代表献花と黙祷を行った。桜花は一式陸攻によって上空まで運ばれ、そこから目標へと突入する滑空爆弾である。しかし、初出撃の1945(昭和20)年3月21日には、出撃した18機すべてが撃墜され、160人が犠牲となった。桜花隊はその後も出撃を重ね、総計829人が命を落とした。
 さらに一行は、鹿屋市の小塚公園にある鹿屋特攻基地慰霊塔を訪れ、この地から南の空へ飛び立った908人の若き特攻隊員を追悼した。
 この後、鹿屋航空基地史料館を見学。館内には特攻隊員の遺品や遺影、旧日本軍や海上自衛隊の航空機などが複数展示されており、戦争の記憶と平和の重みを体感する場となった。
 解団式では、力久道臣常務理事が「万世と鹿屋は初めての訪問であったが、御霊の存在が今の私たちの平和を支えていることを強く実感した」と述べ、「信仰者が御霊を祈ることができるからこそ“慰霊”という言葉がある。生かされている意味を問うためにも、この巡礼の意義は大きい」と結んだ。

2025/5/20

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